元お笑い芸人がWeb業界に入ってがんばるお噺

元お笑い芸人で今はWeb制作会社のプロデューサーです。仕事のこととかを書きますが、落語のことも書きます。

そもそも広告の発祥が気になったので歴史をひもといてみた

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こんばんは。
みやしたんくです。

タイトルにPR表記するべきか否か問題で思ったこと

先週からインターネット業界をにぎわせた、「記事広告はタイトルにもそれが広告であるように表記すべきか否か」という議論ですが、いろいろ盛り上がりましたね。

news.yahoo.co.jp

いろいろ飛び火した議論はあったものの、ぼくとしては徳力さんのこちらのブログで一旦落ち着くといいなあと思っています。
落ち着くというのは「じゃあタイトルにこう入れよう」って決めるという単純なことだけではなく、徳力さんが語ってくれたようにちゃんと目的を明確にして、みんなが自分たちが生きている世界をより良くするために考えていければなあということです。
もちろん徳力さんのブログにもあるようにステマとかあくどいことをやっている人たちが一番悪いし金属製の牛の中に入れて火で炙られればいいと思っています。
※参照:ファラリスの雄牛

この件はいろい考えることが多かったのですが、ふと思ったことがあります。

そもそもなんでこんなに広告って嫌われてんの?」

ということです。
議論になったのは広告の中でもインターネット広告、さらに言うとその中の記事広告についてでした。
しかし徳力さんが書いている通り、そもそもインターネット広告全体のこととして考える必要があると思うのです。

インターネットの広告だけではなくそもそも広告自体嫌われてる(と言ってもいい)

まず昨今Web界隈で「広告が嫌われてる」と語られるとき、大体がこの記事のようなニュアンスがあると思います。

www.advertimes.com

嫌われてるのは広告というより、表示方法じゃないかと。

テレビCMとか、新聞広告とか、駅貼りポスターとかは、どうでもいいと思われて来たけど、嫌われてはなかったよね、いまのネット広告みたいに。それが言いたかったわけです。

たしかに「インターネット広告、特にスマートフォンでの広告が嫌われている」という点ではこの記事で語られている通りだと思います。
ユーザー体験を邪魔しているから嫌われてしまって、そのためネイティブ広告という発想が生まれたわけです。フォーマットの話ですね。 これは去年話題になったネイティブ広告ハンドブックにも書いてある内容です。

しかしそのネイティブ広告ハンドブックには以下のようなことも書いてあります。

もともと「広告」は嫌われものであるという考え方は、古くからあっただろう。むしろ「広告」は視聴者が見ているテレビ番組や読者が読んでいる新聞や雑誌記事の合間にお邪魔している存在として、先達の広告人たちは考えていた。
出典:ネイティブ広告ハンドブック2017

もちろん親の仇のように「広告憎し!」という人はかなり少数派だとは思いますが、広告は嫌われ者だというのはインターネット以前の先人たちも考えていることなのです。
例えばテレビCMなんかは顕著ではないでしょうか。

もし広告が嫌われていなかったら、なぜ番組のとってもいいところの前にCMが入るのでしょうか。
それぞれのCM単体でいうと人気で好感度の高いものもあります。が、少なくとも番組そのものを見ているユーザーにとっては明確に邪魔なものなわけです。
だからこそ何とかして見てもらうために大事な部分の前にCMを流しているわけですよね。

ということは本当の意味での広告が嫌われている理由はそもそもインターネットだけの問題ではないと思うのです。

広告が嫌われていることの本質を考えるには「もともと広告は嫌われ者である」というところをなぜなのか問う必要があるのではないでしょうか。
そのためには記事広告、インターネット広告のことだけでなく、そもそも広告というビジネスモデル自体の成り立ちや歴史を学んでおくことで、何が問題でどうあるべきなのかということにつながるのではないかと思い色々調べてみたことをまとめてみましたよ。

ぼくは社会人歴もWeb業界歴も浅いので、詳しい方や当時のことを知っている方々はコメント等で「それはまちがってる!」とか「あのときはこうだったなあ」とかガンガンいただけるととてもありがたいです。

ただし!あの議論みたいになるのは嫌だぜ!

まずは広告という言葉の定義

ふと「世界で一番最初の広告ってなんなんだろう?」と思って調べてみるとこんなページを発見しました。

crd.ndl.go.jp

レファレンス協同データベースという、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で運営しているサイトです。
一般のユーザーから図書館に寄せられた質問とその回答の中にありました。

説は色々あるが、おそらくエジプトのテーベの遺跡から発掘された 広告が世界最古と考えられる。

「逃げた奴隷を連れ戻したら100万円!」なんていう内容の広告が発見されたとあります。炎のチャレンジャーじゃないんだから。
なんとなく「それって広告?」という気がしますよね。

Wikipediaにあった定義を以下のようにまとめてみました。

  • 企業や非営利期間、個人の広告主が、
  • 広告主を明らかにして、
  • 対象者の利益および社会的利益の増大化を目的とし、
  • 人が直接的に語るメッセージではなく、広告主が管理可能な媒体で、
  • イデア、製品、サービスを告知し、説得するもの 出典:広告 - Wikipedia

ということになります。 前述したエジプトの奴隷探しの例は、アイデア、製品、サービスを告知し説得しているわけではないので、この定義では広告になりません。これはビジネスにおける広告だけではなく、政治的な宣伝や、非営利活動も含まれる広義な定義です。
しかし、ほとんどの人が広告というとマーケティングとしての広告、つまり「企業利益の増大化」が目的である商業広告を想像するのではないでしょうか。
ということは必然的に嫌われているのはマーケティングとしての広告であることは間違いありません。

マーケティングとしての広告の発祥

みなさんなぜ広告という概念や文化が生まれたのかを考えたことありますか?
ぼくは1985年生まれなのですが、普通に新聞や雑誌やTVは広告にあふれていたし、当たり前のものでした。なのでそんなこと考えたことはありませんでした。 大多数の人が同じような感覚をもっているんではないでしょうか。

そしてはっきりと「あれは広告だ!」と意識していないのが、街頭の看板や交通広告、待ちゆくかわいこちゃんがもっているファションブランドの名前が大きく入ったショッピングバックも広告と言えます。このように町に広告は溢れています。

我々は広告に囲まれて生きていると言っても過言ではありません。
しかし歴史的に見れば、きっと広告というものが生まれたきっかけがあるはずです。

ということで広告の発祥について調べてみました。

広告の発祥はT型フォードってどういうこと?

では広告というものは何故生まれたのでしょうか。調べてみるとこんな記事を見つけました。

ad-kakushin.jugem.jp

植田正也さんという広告業界の偉い方のブログです。ロシアで行ったという広告について講義を文章に起こしてくれています。

従って、現代広告の始まるのは、厳密に言えば、1908年フォードのT型乗用車の新発売からではないかと思います。 これはアメリカ資本主義経済が本格的に発展、成長していくときとも軌をいつにいたします。

ここで語られているのは「もーっと昔から広告っぽいもの(告知という言葉を使っている)はあったけど、
「「現代広告」の始まりはT型フォードが発売したこと」
だと語られています。さらに調べてみるとこんな記事が。

gazoo.com

フォードの歴史を語ったコンテンツなんですが、ざっくり言うとこのような記載があります。

  • T型フォード発売以前は、車と言えば高級車で一般人が買えるものではなかった。

  • T型フォードは徹底的な生産の効率化で、大量生産&低価格での販売を行った。

  • フォードの生産システムは現代の資本主義の象徴の1つである。

ということです。
フォーディズムなんていう言葉もあるんですね。いやー知らなかった。勉強になります。  

しかしこれだけではなぜT型フォードが広告の始まりかということとつながりません。
というわけでさらに調べてみるとこんな記事をを見つけました。

広告ビジネス(電通)の歴史

電通の誕生」についての記事ですが、最後にあの広告の鬼と言われた電通4代目社長の吉田秀雄が語った広告の定義が書いてあるので一部引用させていただきます。

「大量生産における広告というものは最もコストの安い販売手段なんです。人を使って一つ一つ商品の説明を一軒一軒して歩く。戸別訪問して歩くということだったら、ある種の商品では10倍ではきかんでしょうね。販売コストが安いから小売値段も安くなる。大量生産においては広告宣伝というものほどコストの安い販売手段はないということですね」

広告費というものはなんとなく消費者側からすると「余計にかかっているものでその分自分たちが払う金額に乗っかているのである」という感覚をもってしまう気がするのですが、逆に言うと広告がなければ、認知の無い企業や商品は営業なんかの販売コストがかかってしまうのは当然のことです。

この二つの話をまとめると植田正也さんが仰っている、「広告の発祥は1908年フォードのT型乗用車の新発売からではないか」というのは「アメリカでフォードが起こした(諸説あり?)大量生産の経済≒資本主義の高度化が「広告」の発祥であるということなんです。

…と言われてもね?高卒のぼくには「資本主義ってそもそもなに?美味しいの?」となってしまい腹落ちしなかったので、自分で考えてみました。

人が豊かになるために広告は生まれた

人間はより豊かな生活を求めた結果、色々なモノを手に入れること、消費することが幸せなんだと考えました。
色々なモノがフォードの車と同じように大量生産=大量消費の時代になり、あらゆるものが一部の金持ちだけでなく、大衆に手の届くものになっていきます。
それを実現するには低コストで商品を売る必要があります。

それはフォードのように徹底的な効率化ももちろん行われますが、それを知ってもらい買ってもらうためのコストも下げる必要があり、それには広告というものが最適であるということです。つまり

広告というものが生まれ、発展していったのは我々が求めた豊かな生活を支えるものだったということです。

日本での広告の役割は変化し、難易度が上がっている

日本で言うと戦後の高度経済成長期にはモノがそもそもありませんから、とにかく良いものを作れば売れる時代でした。
企業はいかに優れたものを作るのかを考え、それが競争となっていました。
その後経済が発達し、ある程度の大衆が同じモノを手に入れ、良いモノを作れば売れるという時代は終わったと言われていますが、消費がなくなってしまっては経済はなりたちません。
そうなると企業は

「こんな商品がでましたよ!」

という単純な告知型の広告から

「豊かな生活っていうのはこういうことなんだよ!だからこういうものがあるといいんじゃないかな!?」

という欲望創出型の広告に変わっていきます。大衆の基本的な欲が達成されてしまった後は、新しい消費欲を生みだす必要があったからです。
そうなると広告が果たすべき役割の難易度がかなり上がっていることが明らかです。
日本でも広告費用は増額してはいるものの広告の効果というものはどんどん疑問視されている声が大きくなっていると思います。

スマートフォンという社会を変えたデバイスが普及した今こそ、広告が担うべき役割というものを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

to be continued…


いやー広告の歴史おもしろっ!!!!
発展していった広告の表現方法とか、社会に与える影響みたいな部分も様々な研究がなされていてすごく面白そうな分野なのでまた調べてみようと思います。

次回予告

次の記事ではそんな発祥をもつ広告がなぜ嫌われてしまったのかを考えてみたことを書こうと思います!お楽しみに!

タイトル予定「広告ってなんでこんなに嫌われてるの?ぼくが考える広告が嫌われた3つの理由」(仮)