洋画の日本版ポスターを単純にダサいと言っちゃう風潮と「良さ」が理解できるということ
【交換日記はじめまして】
すっごく久しぶりのブログ投稿です。 「アウトプットしたいよ~」とか言いながら全くブログを書いていなかったみやしたんくです。
最近ふとFacebookで元会社の先輩toksatoさんが「日報をたくさん書いているでゲス」という趣旨の投稿をしていまして、かるーい気持ちで
「日報公開してくださいよw」
「いやできねえわw」
「じゃあぼくも日報いっぱい書いているんで交換日記やりましょう」
「それいいね」
ってことになり交換日記をすることにしました。
ぼくはWeb製作会社、いわゆる「そとのひと」として、
toksatoさんは事業者側のWeb担当、いわゆる「なかのひと」として、
色々意見交換できたらおもしろいんでないかね!というプロジェクトです。
(あとはぼくがアウトプットするための後押し)
toksatoさんとは
ブログに良いことをたくさん書いております。勉強になります。 toksato.hatenablog.com
とっても簡単に言うと
「Web制作とかWeb制作の先生とか何社か点々として結構偉くなって、「なかのひと」になったWebディレクター」
です。
toksatoさんの前職からのおつきあいでとっても仲良くさせていただいております。
みやしたんくとは
ぼくの自己紹介はこちら
このブログはこんな人が書いています - 元お笑い芸人がWeb業界に入ってがんばるお噺
会社のインタビューの方がわかりやすいかも
元お笑い芸人のプロデューサーに聞く "ツッコミュニケーション"とは | インテリジェントネットブログ
とっても簡単に言うと
「元お笑い芸人で未経験からWeb製作会社で「そとのひと」としてがんばっているWebプロデューサー」
です。
というわけで交換日記初投稿
一発目の投稿なわけですが、いきなり「なかのひと」とか「そとのひと」とか関係ない話を書いてしまいました。 どんな形であれアウトプットしないよりはするほうがいいはずなので、開き直っております! toksatoさんならなんとかしてくれるでしょう!
洋画のポスターが日本版になると途端にダサくなる問題
ようやく本題です。
洋画が日本で配給されるとタイトルが大幅に変わったり、ポスターのクリエイティブが変更されてなんでなん?と思うことありますよね。
まあ以前からちょくちょく物議を醸していた話題です。そんな話を同級生のwebデザイナーとかとFacebookで話していていろいろ考えたことをまとめてみました。
こういうやつですね
左が本国版で、右が日本版です。
たしかに情報が最低限な左のポスターの方がオシャレで、沢山情報が入っている右のポスターはダサいと感じる気持ちはわかります。
いいんです。普通の方がそう思ったり発言するのはしょうがないと思います。ただ、このWeb業界だったりクリエイティブな業界の人間が「ダサい!日本はイケてない!」と単純に言ってしまうのはダメだと思うのです。
デザインが優れているかどうかは成果でしか語れない
当たり前のこと言いますね。
どっちが優れている?
ダサいとかカッコイイはあくまで主観的なものです。なので、この2つのデザインのどちらが優れているのか考えてみましょう。
まず前提としてこの2つのポスターってなんなのでしょうか?最初にパッと普通に思いつくのは広告ですよね。広告であるならば目的はなんでしょうか。きっと映画のポスターなので目的は「映画を見たいと思ってもらう」ということになるでしょう。
ということはどのくらいこのポスターを見て「映画を見たいと思ってもらえたか」が優れているか否かになります。ララランドについて1ミリも情報を知らないユーザーがどっちを見て「この映画を見てみたい」と思うでしょうか。
そう考えると左の本国版は明らかに情報量か少ないですよね。どんな映画か全くわかりません。流石にこれではなんだかよく分からないので、SING見に行っちゃいませんか?SING面白そうですもん。
目的とターゲット次第
では左の情報量が少ないポスターが優れていないのか。それも違います。
広告予算が少なくてこのポスターだけで態度変容を促す必要があるんであれば、ある程度情報は必要になるので左のポスターは優れていないと言えるかもしれません。
しかしこれが実はCMをガンガンやっていて、すでにある程度認知度のある映画のポスターだとしたらどうでしょう。そうなると左の本国版のポスターはそもそも広告ではないのかもしれません。広告ではなくファンの部屋に貼ったりしてもらうことが目的のポスターだとしたら、映画のグッズという位置づけなのかもしれませんよね。
実際それぞれのポスターがどういう位置づけでつくられたものなのかは不明ですが、どちらもターゲットと目的がわからない以上この2つのビジュアルだけを比べて優れている、優れていないという比較はそもそもできないということです。
日本人は民度が低いのか
とあるクリエイター?の方がこのララランドの比較画像について記事を書いていました。
その記事は以下のような趣旨のことが書いていました。
とにかく「日本人は説明がないと理解できない」と映画配給会社を始め、自らが国民性を規定して納得しているようなのだ。
盛りだくさんでオカズがたくさん入っていると言わないと買ってくれない。損をしたくないし得をしたい。そこで民度というのが決まるよね。
説明がないと理解できない、損をしたくないという感情を民度が低いという厳しい言葉で書いています。
民度という言葉はかなり曖昧に使われているので、言葉の定義は置いておきます。
この記事で主張していることはつまり
「説明が無いと理解できない、損(リスク)を取れない日本人は民度低くないですか?」
ってことですよね。
ぼくはこれに真っ向から反論します。
説明がないと理解できないって普通のことでは?
上記したとおりターゲットと目的によるんですよ。
事前情報もない、出演している人もしらない、そういう人に左のポスターを見せて
「え?説明がないとわからないの?民度低いなあ」
ってただの因縁じゃないですか。
ララランドをすでに見ようと決めている人とか、見て好きになった人にとってはきっと右の情報量は邪魔になります。部屋に飾りたいのは左になるんでしょう。
右の日本版が「映画を見てみようと思ってもらうことが目的の広告」だとしたら成果が全てです。
だとしたら個人の好き嫌いなんてまったくどうでもいいのです。何人の態度変容を促せるかってことだけです。もちろんカッコイイに越したことはないですけどね。
オシャレなクリエイター様たちは左のポスターが好きなのかも知れません。でもそんなことは知ったことではありません。
ユーザーに態度変容を促すために必要なことを入れて、そうじゃないことは入れないってだけです。
リスクを「取れない」んではなく「取らない」んでは
リスクを取るかどうかなんて完全に人それぞれです。リスクを取れる人と取れない人がいるという当たり前の話ではありません。
人によってリスクを取ることと取らないことは違うということです。
例えばぼくは別に映画が好きではない(ターミネーター見たことないくらい)ので相当おもしろいかもなーって思わないとリスクを取りません。
アカデミー賞に権威は感じないけど、信頼できる人のコメントがあったら見てみようかなって思うかもしれません。
そのかわりぼくは落語に関してはリスク取って見に行きます。
というか落語なんて大体行ってみないと何の演目をやるか分からないし、リスクだらけです。
志の輔らくごに行って「新作やるかなーワクワク」と思っていたら「牡丹灯篭」っていう超大人向けな難解な演目を1hやって、あれ?ってなったこともあります。(そもそもこれは事前に調べればわかったことなので志の輔師匠に何の否もないんですが)
それも落語自体が好きなので別に文句はありません。それはそれで楽しいものです。
要するに自分が好きなことだったらリスクを取るし、好きじゃないものにはリスクは取らないんですよ普通人間って。 それを十把一絡げにこのポスターだけで「日本人はリスクをとらない」って言うのはちょと飛躍しすぎじゃないでしょうか。
ビジネスとかだったらそういう傾向はあるのかもしれません(いや知らないですけどね)。
でも娯楽ということに関しては絶対に外国人だって同じはずです。興味もないジャンルに対してなぜリスクをとる必要があるのかっていう話です。それとも外人はあらゆるものをオシャレかどうかで決定してるんですか?それどこの国?オシャクソ王国?
デザイナーズ意見も聞いてみた
もう一度はっておきます。
WebデザイナーS.Sさんのお言葉(一部抜粋)
デザイナーはアウトプットの先にある「見ている人達がどういう人か・どう感じるか」まで考える必要があるからこれはもうね。誰も知らないもの、を広告するとこうなっちゃうんだと思うよ。
もうパターン化してるけどねこれ…日本版の洋画ポスターはデジャブ感が凄い。(逆で言うと日本のドラえもんの映画「南極カチコチ大冒険」のポスターはワビサビ精神が溢れてかっこいい。あれは「ドラえもん」だから出来る芸当だよね〜)作る側・供給する側が諦めちゃっているというか、自分たちでレベルを下げがちなパターンは普通によくあると思う。映画業界以外でもこんなんばかりなんじゃない?
デザインはいけてないんだけど、こっちのが売れるんですよね…みたいなジレンマを日々抱えてるデザイナーはたくさんいると思う。
なるほどーたしかにドラえもんの最新映画のポスターはオシャレです。
ものすごい情報量少ないですね。これはおっしゃるとおり圧倒的な認知度の高いドラえもん先輩だからなせる技なんでしょう。
逆にドラえもんを全く知らない外国人向けにポスターつくるとしたら、
「アニメ大国日本のロングセラーアニメ!」
「未来からやって来た猫型ロボットと何をやってもだめだけど心は優しい小学生の物語!」
とか書かないといけないかも知れませんよね。
デザイナーのジレンマってのもたしかにあるとは思います。ここはもっと詳しく聞いてみたいですね。クライアントからの無茶な要望とか言えない話があるのでしょうしw
でもデザイナーが仕事である以上成果を出すことが目的であってカッコイイというのは手段でしかありません。「おれはカッコイイデザインしかつくりたくないっ!」っていう人はそういう実績を積んでブランディングをしないとなんでしょう。
WebデザイナーY.Sさんのお言葉(一部抜粋)
ハリウッド映画って基本公開一年前くらいからポスター公開(&CMやスポット動画公開…予算にもよるけど)していくんだけど、連作になってるから、最後の劇場ポスター見る頃には「どういう映画」か分かってるんだよね。
だから、ララランドの例に関しては、一枚で説明するポスターじゃないから、比較がフェアじゃないかなとは思ったよ。(しかもキャスト名も下に入ってないから、恐らく劇場設置の最終版ではなさそう)
日本でも公開一年前からララランドの情報流れて、ポスターも映画館にあってってなってたら、「アカデミー賞!」とか書かれないと思う。知ってるっつーのってなるし。
単純に露出期間の違いなのかなとは思う。あとキーワードで覚えてる人向けかな?「あのアカデミー賞とったやつ」「ミュージカルっぽいやつ」→ポスター見て「あ、これか」みたいな。
こちらもなるほどですね。 フェアじゃないってのは確かにぼくも感じたとおりです。この左のポスターがどのタイミングのポスターかは不明ですが、まあ明らかにこれだけで態度変容を促そうとはしてないんじゃないかなとは思います。
お二人引用の許可ありがとうございます!
ある種の「良さ」がわかるには経験と鍛錬が必要
兼六園とUSJ
また、前述したクリエイターさんの記事ではこうも言っています。
日本のポスターの方が情報がわかりやすくて良いというデザイナーがいるが理解できない。本国のポスターが兼六園で、日本のポスターがUSJだとして。USJの方が良いって言われたらじゃあそっちに行って下さいとしか言えない。
そういうのが好きな人はUSJに行って、自分の子供も連れていけばいい。兼六園の良さを説明できる人は子供を兼六園に連れていけばいい。両方の子供は種類の違う育てかたをするだろう。
※言い回しは変えてますけどニュアンスは変えてません。
これに関してはすみません怒りしか感じません。いや別に怒る必要はないんですが、兼六園の良さを理解している自分はセンスがいいって言いたいんですよね?そしてそういうセンスが悪い人が育てる子供は可哀想にねってことですよね?ぼくはそういう考えの方がよっぽど「民度が低い」と感じます。
「兼六園の良さがわからないけど、USJの良さはわかる人」だって、他のジャンルではみんながわからない「良さ」を分かっている可能性は大いにあります。
ぼくは兼六園の良さはわかりません(行ったことも考えたこともない)が、東京03の良さはわかります。と、同時にブルゾンちえみの良さもわかります。
子供にはどちらの良さもわかってほしいですが、と同時にその良さがわからなくてもかまいません。それはもう好みでしかないからです。
ただ、ぼくは東京03のなにが良いのかを詳しく説明することはできます。
それはお笑いをやっていた経験もあるし、たくさんネタを見てきた経験があるからです。
子供にそんなことを求めません。自分が好きなものにはきっとアンテナが高くなるもんでしょうから。
ただひとつだけ自分の子供に求めるとしたら、自分が理解できないことを否定するような人間になってほしくないだけです。(趣味ってのは往々にしてそういうマウンティングをする人は多いけど。「ワンピース好きとかww」みたいなね)
どんなジャンルだっておなじ
基本的にどんなジャンルでも、「単純で本能に訴えかけるような頭をつかわない楽しさ」以外の「良さ」を理解するには鍛錬と経験が必要なんです。
落語だって最初は志の輔のわかりやすい新作落語しか面白くないかもですが、いろんな落語家さんの噺を聞いているうちに「うーむ一朝師匠の渋い噺もいいね」ってなっていくんです。
落語の例はわかりずらいのでもう1つ例をあげると、うちの嫁はマンガが読めません。
ぼくは昔からマンガを読んでいたので当たり前に読めるので、不思議でした。
「なぜ読めないの?」って聞くと「読み方が分からない」と言うのです。マンガを読むという経験がなさすぎてどの順番でコマを読んでいいのかわからないと言うのです。
「ウソだろ!?」って思いましたよ最初は。でも確かにそういう視点で見るとマンガって結構暗黙の了解でコマが進んでることに気づきます。
そんな彼女の仕事はトリマーです。なのでぼくら素人にわからないような犬のスタイルとかにはとても敏感です。
「あのプードルのカットは良くない」とか言われても正直完全には理解できないんですが、きっとトリマーさんの業界では通じるのでしょう。
兼六園の良さがわかる方がプードルのカットの良し悪しもわかるでしょうか?
民度の低い日本人はLESS IS MOREを体現できないのか
GoogleとYahooのデザインも同様に比較するものじゃない
映画のポスターと同じようにWeb業界でも「日本のデザインは詰め込み型で欧米は洗練されてる」みたいな論調で語る人をたまに見かけます。
その例としてGoogleとYahooが比較されて、
「Googleさん検索窓だけでオシャレ、Yahooは情報量が多くて見ずらい」
とか言っちゃうのです。
でもこれは明確に違いがあります。これはまさにtoksatoさんから学んだことです。
toksatoさんが前職(ぼくの現職)でやった勉強会のスライドです。UI設計についてのスライドですがこのページからGoogleとYahooについて語られています。
一応書いておくととGoogleとyahooではビジネスモデルが全く違うんですよ。
Google:検索のインフラというビジネスモデル
→ごちゃごちゃ言わんと検索してほしい
Yahoo:メディアというビジネスモデル
→サイト内にいてほしい
全く違うビジネスモデルのサイトのデザインを比べて「日本はダサい」とか言ってはいけません。
YahooだってそりゃGoogleになれたら検索窓だけにしますよ。
情報を詰め込むことって悪なの?
そもそも情報を詰め込んで見づらいことは悪なのでしょうか。
新聞だってそうですよね。かなり詰め込まれてます。
でも新聞買って記事が1ページに1記事で、タイトルと情緒的なリード文だけ書いてあったら腹立ちますよね?
【森友学園問題】
100万円を渡したのはだれ?
(安倍昭恵と籠池さんのカッコイイ写真ドン!)
ってなってたら「は?」ってなるでしょ。「オシャレ!素敵!読売新聞さん抱いて!」ってならないでしょ。
思い上がらないようにしよう
と、つらつら書きましたがたしかに自分が良いと思うものを他人にも良いと思ってほしい気持ちはわかります。
そしてわからない人を潜在的にでも見下しちゃう気持ちもとってもわかります。
ぼくだって、「えー東京03って何がおもしろいの?ブルゾンちえみの方が面白くね?」って言われたら腹立つし、
「東京03の面白さがわからないやつがお笑いを語るでない!」って思いますもん。
でもそれを下に見てはいけません。ただの趣味の問題です。
自分もそういう人間にならないように気をつけないとなと思った次第です。
まとめると
- 日本版のポスターの良し悪しを比べるなら目的と成果を調べないと
- 娯楽においては説明が必要なこともリスクを取らないことも当たり前
- 趣味に貴賤はありません
どう思いますかtoksatoさん! 「なかのひと」とか関係なくなっちゃったけど上手いことしていただけるでしょう! お願いしまーす:)
2017/04/04 追記
toksatoさんがアンサーブログ書いてくれました!いやーぐうの音も出ないやつ!